茅ヶ崎の歴史を散策する「茅ヶ崎今昔物語」を開催しました【茅ヶ崎コミセン】
2026年3月1日(日)、茅ヶ崎コミセンの企画事業として茅ヶ崎の歴史を学ぶ「茅ケ崎今昔物語」が開催されました。知的好奇心を高めながら茅ヶ崎地区の歴史を楽しく学ぶことを目的に企画された本企画は今年で4回目を迎え、今回は茅ヶ崎駅周辺の新栄町を中心に散策しました。参加者は20~70代までの男女36名。当日は暖かな陽光に恵まれ絶好の散策日和となりました。9時30分にコミセンに集合して30分程度の事前講話の後、10時に出発し12時過ぎまで2時間ほどの歴史散策をしました。当日は以下のルートを巡り、いにしえの茅ヶ崎地区の姿に思いを馳せました。
♬散策ルート
コミセン出発→日本精麦跡→茅ヶ崎駅・茅ヶ崎貨物駅→厳島神社→金春横町→茅ヶ崎ショッピングセンター→左近稲荷→円蔵寺→旧町役場→純水館製糸所跡・記念碑→→コミセン帰着



スペースに限りがありますので全て掲載することはできませんが、散策で訪れた場所の歴史一部をここでご紹介します。
【日本精麦跡】
茅ヶ崎コミセンのすぐ近くにあるロコスポーツとレストランMOKICHIにはかつて日本精麦(株)の本社工場がありました(現在は寒川に移転)。工場は国道一号線を挿んで北側(現イオンスタイル湘南)にもあり麦茶を生産していました。その生産量は非常に大きく相模線と東海道線から軌道を敷いて専用の貨物列車で運搬するほどでした。その歴史的事実を後世に残すためロコスポーツの敷地には当時を偲ぶ石碑が建立されています。

【厳島神社】
創立年代は不詳ですが、厳島神社は数度の遷座を繰り返して現在に至っています。当初はロコスポーツ近くの弁天社として祀られていましたが昭和初期に茅ヶ崎駅北口駅前に遷座し、この時から厳島神社と名乗られるようになりました。当時は改札口を出ると目の前に大鳥居と池があり、池の中央に鎮座する御祭神が駅を行きかう人々を見守っていました。北口拡張工事によって1950年(昭和25)から現在の場所となり今も地域の人々から厚い尊崇を集めています。

【金春横町】
ショッピングセンターの裏とブックオフの裏に隠れた小さな細い路は金春横丁と呼ばれていました。「金春」と書いて《こんぱる》と読む珍しい地名です。昔は居酒屋などの飲食店が立ち並ぶ社交場として賑わっていたそうです。今やその痕跡は殆ど無くエメロード通りからツインウエーブ方面への抜け道としてひっそり佇んでいます。

【茅ヶ崎ショッピングセンター】
茅ヶ崎ショッピングセンターは東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年にオープンしました。「茅ヶ崎銀座」の名称で親しまれた駅前メインストリートの中核施設であり、市内に高い建物がなかったことから当時は茅ヶ崎のランドマーク的な存在でした。衣料品や食料品をはじめ理髪店、美容室、日用雑貨、玩具店など何でも揃う大型ショッピングモールの先駆けとも言えます。

【左近稲荷】
創建年代は定かではありませんが、1882年(明治20)に茅ヶ崎駅が開設されたことによってこの地域に人々が集るようになり、商業を営む方々より商売繁盛や五穀豊穣など所願成就の神として祀られたのが始まりと言われています。かつてこの通りは「稲荷通り」と呼ばれており、現在でも付近商店主を中心としたメンバーが毎年京都の伏見稲荷大社に詣でているとのことです。

【純水館製糸所跡・記念碑】
純水館製糸所は全国有数の高品質な生糸を米国に輸出していた大規模工場です。1917年(大正6)から1937(昭和12)まで、現在のヤマダデンキを中心とした敷地約1万2千坪の土地に約350名が働いていました。1923年(大正12)年の「皇太子殿下御慶典」繰糸では全国3735工場から唯一選ばれ、1928年(昭和3)の「御大典奉献繭繰糸」では全国3509工場中から選抜された54工場にも選ばれています。また、「糸も造るが人も造る」という高い志を掲げた企業理念は産業界にも強い影響を与えました。2022年12月、ヤマダデンキの北側に純水館の功績を記した記念碑が建立されました。

上記の他にもさまざまな歴史エピソードが披露され、参加者した方々は解説者のお話に熱心にメモを取ったりスマホで写真に収めたりして茅ヶ崎の魅力を再発見しているご様子でした。「2時間とは思えない小旅行気分が満喫できた」「身近なところにこんな歴史が隠れていたなんて驚き!」「もっと茅ヶ崎のことが知りたくなった」など嬉しいお声をたくさんいただきました。茅ヶ崎コミセンはこれからも地域の歴史や文化を楽しく学べる企画をご提供したいと考えていますのでどうぞご期待ください。最後になりましたが、当日ご参加いただいた皆さま、歴史資料提供やガイドとしてご協力いただいた「ちがさき丸ごとふるさと発見博物館友の会」の皆さまにお礼申し上げます。

