新田自治会から皆さんへ

茅ヶ崎市の西端にある230世帯の小さな地域で、相模川左岸にある市内で重要な自然環境が残されている区域です。

相模川沿いの土手は住民の散策など憩いの場となっています

相模川沿いの土手は住民の散策など憩いの場となっています

地名は平太夫新田と言います。新田とは不毛な原野や大きな河川の流域などを耕作できるよう開発した土地のこと。平太夫新田は松下平太夫という人が開いたといわれ、今も新田八幡神社の境内に供養塔が祀られています。住人の絆が強く、神社の夏祭りは全てみんなの手作りで催されます。そして、安心・安全がモットーの地域です。

新田八幡神社全景、右側に平太夫さんの供養塔が建っています

新田八幡神社全景、右側に平太夫さんの記念碑が建っています

松下平太夫供養塔と碑文

松下平太夫供養塔と碑文

主な行事など

4月 防災訓練(炊き出し、カラオケ等)

7月 神社祭礼(屋台、カラオケ等)

9月 敬老の日お祝い品お届け

1月 どんどん焼き

その他、地域催しに参加(愛の輪フェス、運動会など)を通して他地区との交流をしています。

平太夫新田の昔

平太夫新田は松下平太夫という者が、開いたといわれています。江戸時代にこの茅ヶ崎には村が23ありましたが、新田という名を付けていたのは平太夫新田だけです。「新編相模国風土記稿」によると「民戸十」とあることからとても小さな村だったことが伺えます。1886年(明治19年)には家数13、人数61と記録にあります。新田とはいうものの、村の土地は水田に向かず、主な生業は、畑作と川漁でした。

相模川は天災の元でしたが、生活の糧をもたらすものでもあったようです。開墾には多くの困難があったものと推察されますが、松下平太夫の労に対して今も鎮守・八幡神社の境内に祀られており、その供養塔の正面には「三諦院法源居士 松下平太夫」の文字が彫られています。

【出展・参考文献/茅ヶ崎市史1より引用含む】