金剛院の南西、東海道線の南側にあり、「南湖のお十夜の寺」として知られています。
 昔は、10 月7~9日の3日間、サーカス・芝居・露店が出て、大勢の人出でにぎわいました。また南郷力丸の供養碑といわれる石塔があります。

(「ぶらり散歩 郷土再発見」より)

お十夜

 浄土宗の西運寺のお十夜の縁日は毎年10月7〜9日の3日間開催され「南湖のお十夜」として大変有名だった。

 お寺では、五つの台の上に大きな鐘を一個ずつ上げて、7日の夜、その台の上に世話人が座り、大太鼓に会わせて鐘をならす。

 「うへえ、うへえ」と唱うと大太鼓をとんとんと叩き、鐘をしゃんじゃん鳴らす。本堂では法要と法話があり、そのあと亡くなった人達の供養があり、夜になるとお籠もりと言って遠方からも集まった信者がご詠歌を唱え、踊ったり詠ったりで夜中まで賑やかだった。8日は本堂で法要があり、檀家の幼い男の子と女の子がお稚児に出た。

 「お十夜」が盛んな頃は、寺の境内はもちろん近辺の道路、民家の庭先まで露店や植木店が出たほか、サーカス、芝居、見世物のテント小屋なども設けられ大変な賑わいであった。

 5日の朝は地割りと言って商人が自分の商売をする場所を決め、そこに各自の名札を付けておき、7日に店を出した。露店にはおもちゃ、瀬戸物、菓子、雑貨、農機具、大工道具など目新しい品々が並べられ、ガマの油売り、バナナの叩き売りなども出た。

 前宣伝のため、芝居の役者が鳴り物入りで南湖の道々をあるいた。また、サーカス小屋で演奏される「天然の美」が遠くまで聞こえ、お祭り気分を盛り上げた。臨時のバスが駅と茶屋町の角屋との間を運行していた時期もあった。家々では、親戚や知人を泊まりがけで招待したりしたので、それはそれは大勢の人達であふれた。

 3日間の縁日が終わってもサーカスや芝居、活動写真は一週間ほど興業をつづけた。昭和10年頃の木戸銭は大人20銭、子供10銭だった。

 また、農具を売る店も出て、遠方の農家の人達も秋の取入れの農具を買いに来た。笊、鎌、竹箕、ふるい、桶など色々の道具を売った。玉屋(編注1)のふかし饅頭も南湖のお十夜の名物の一つだった。

(南湖郷土史より)

南郷力丸

 南郷力丸は茅ヶ崎の人 江戸時代に実在?地蔵尊と供養塔を発見 (当時の)茅ヶ崎市立図書館長・斎藤省三氏(73)の調査で、架空の人物視されていた力丸は江戸時代、実際にいたのではないかと見られるにいたった。

 力丸地蔵と供養塔は、いずれも茅ヶ崎市南湖上町のしょう油店(編注2)、熊沢俊平さん(当時51)の庭で発見されたもの。地蔵は享保6年(1721)につくられ、高さ30.3cm、供養塔は台石とも高さ35cm というちいさなものだが、カブキでおなじみの南郷力丸のものと判定されてからにわかに人気がでて、当時図書館の前庭に置かれていた。ところで力丸がなぜ茅ヶ崎出身かというと、この力丸は茅ヶ崎市南湖の舟持ちのむすこ。当時「白波者(しらなみもの)」といわれる土地の不良仲間の兄貴株だったという。そして南郷力丸と名乗っては善良な町人をおどしたり、コソ泥を働いていた。ちょうど今のチンピラぐれん隊で、江戸に進出して悪事の数々も命運つき、鈴ヶ森で斬首となったもの。

 このため力丸の悪事は別として、気のに思った土地の人が供養に建てたのが力丸地蔵だと言う。供養塔はやはり土地の人が、大正7年にわざわざ建立したものとわかった。なお(当時の)斎藤館長の調べによると、白浪五人男がつくられた発端は、木阿弥の友人である仮名垣魯文が力丸の話をしたことと、当時、盗みの疑いで全国におふれのでていた日本左衛門(浜島庄兵衛)をヒントにして、 江ノ島の弁天小僧や力丸などを加え、おなじみ五人男を執筆したという記事が昭和35年(1960)に載っていると市史現代(5)314ページにある。

 また、平成6年6月 15 日号の広報ちがさきの茅ヶ崎ゆかりの人物誌というコラムには、”この力丸は市内南湖の生まれという説があります。地名としての「南湖」と力丸の姓の「南郷」が同じ音であるところからこの説が作られたものと考えられます。芝居の中で、弁天小僧が江の島育ちとなっていることも、この伝説の創作に影響しているようです”とあります。

 南湖二丁目の西運寺に、力丸をまつった石碑が二つあります。一つは、風化がひどく銘文など全くありません。古い墓石と思われます。もう一つには、中央にひげ題目と「南湖力丸」と彫ってあり、木村留五郎が娘の病気全快を祈念して大正7年6月19日に建てたとあります。なぜ娘の病気平癒と力丸を結びつけたのかわかりませんが、力丸はこの木村家の先祖だったという話もあるようです。これらの碑はもと南湖二丁目の一角にあったものですが、開発のため西運寺に移されたそうです。

 碑を建てた木村家は、現在南湖にはありません。しかし、土地の人々は、現在も毎年お彼岸とお盆に碑の前で力丸の供養をつづけているそうです。

(委託学習グループ「一樹会」 広報ちがさき 平成6年6月15日号より)

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編注1)現在の「スーパー たまや」の前身です

編注2)現在の「スーパー イヌヰ」です

編注3)このあたりです

南湖全図_北A_08