南湖5丁目の三橋松五郎さん宅地内に「やせ地蔵」と呼ばれる地蔵尊があります。現在のものは二代目のもので、高さ約1メートルの丸彫りのお像です。

 三橋さんの話では、三代前の家の人が敷地内の松林を開墾した所、たくさのお骨が出土しました。これを丁寧に集め、敷地内の日の昇る方角の所に納骨し、その上に地蔵尊を祀り供養を続けました。明治24年(1891)南湖地区に大火が発生し、地区の大半が焼失しました。ところが、焼け野原の中にぽつんと三橋家の地蔵尊だけが無傷で残りました。

 この不思議な出来事は、人々の心に強く焼き付き、以来、暴風雨や悪病がはやったとき、この地蔵尊に無事を祈るようになりました。南湖に異常な出来事が起こる前や、願いがかなった後、この地蔵尊がやせることに人々は気付きました。こうしたことが近郷近在に広まり、三橋家の地蔵尊はさらに信仰を集め、「やせ地蔵」「身代わり地蔵」と呼ばれるようになりました。

 今もお礼参りや祈願のために地蔵尊を訪れる人は後を絶たず、草花が供えられ線香の香りとともに、約二百年の歴史がひっそりと語り継がれています。

(広報ちがさき 平成8年(1996)5月15日号より)

地主川端さん(屋号)三橋さんに聞いた話:
 天正元年相模川で大洪水が起き、その犠牲者を上に住んでいた人が弔いのため地蔵をつくる。柔らかい鎌倉石のため人々がさわり、地蔵が痩せてしまった。明治に川端家(屋号)で斯しい地蔵をつくり今に至る。屋号の川端は当時、川の縁だったから。

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