明治3年8月、長野県小諸市の醸造業の旧家に生まれる。
大正9年(1920)、東京の神田で個展を開き、島崎藤村の助言と激励を受け、同年7月フランスへ留学し洋画の研究をつづけた。
大正11年(1922)、サロンドートンヌに初入選する。
昭和2年(1927)、パリで初の個展「カステーヤの丘」を出品、フランス政府がこれを買い上げた。
昭和4年(1929)、フランス人の夫人を伴って帰国し、茅ヶ崎に土地を求めアトリエを建てた。現在の南湖4−16−40であり人々はそこを小山別荘と呼んだ。
昭和14年(1939)、文展審査員、以後「日展」「新日展」の審査委員を委嘱される。
昭和34年(1959)、南湖のアトリエで画いた姫路城の連作が日本芸術院賞を受賞した。
昭和36年(1961)、茅ヶ崎文化団体協議会顧問、
昭和45年(1970)、文化功労者に選ばれた。
昭和46年(1971)、小諸市最初の名誉市民に選ばれた。
昭和50年(1975)、11月に文化勲章を授章した。
昭和51年(1976)生存者で初めての茅ヶ崎市の名誉市民に添田良信氏らと共に選ばれた。
昭和63年2月7日(1988)、享年89歳でその輝かしい生涯を閉じた。
市民文化会館大ホールの緞帱(どんちょう)に画かれている浜降祭の絵は氏が亡くなる数年前の作品である。
(南湖郷土史)
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編注)このあたりでした(今はありません)
南湖全図_南B_16