八大龍王とは仏法守護の八部の一であり、地上空中に住み、よく雲雨を支配する力をもつとされる。「龍神」は想像上の動物で、蛇に似た胴体を持ち、頭には角があり四肢に爪を持つ。西欧ではドラゴンなどと呼ばれる。

 正しくは、「りょう」という。源流は、

①オリエントに「バビロニア神」で天地の混沌の精「テニアマット」やエジプトの日神「テー」の敵の「アバプ」など龍蛇の形であり、また旧約聖書で「エホバ」に反抗する悪の源で、善神がこれと戦って殺し宇宙の秩序を作る。

・・・中略・・・

③インドや東南アジアの竜は「ナーガ」と呼ばれる。サンスクリット語で龍の源語である。アーリヤ人侵入以前、インド原住民の間にあり、それが次第にヒンズー教に取入れられて半神の一つとなった。「ナーガ」の天敵は「ガルダ」(金翅鳥 こんじちょう)である。インド神話によれば「ガルダ」は母を奴隷にした蛇族をうらみ、蛇を食べるようになったと云う。
 また蛇が二枚舌になったのは、インド神に持ち去られた「アムリ」(甘露)の容器が載っていた鋭い草をなめたからと言われる。「ナーガ」は地底界(バーターラ)に住むと言われる蛇取り線香の様にぐるぐると、とぐろを巻いている。 時に美しい人間を獲るとされる。海洋や雨水の支配で潮の干満珠を用いむしろ善神的傾向が強い。

④仏典の「八大龍王」もそれである。中国や朝鮮ではやはり雨水、雷雲の霊格であり、善神として、重んじられ王権の象徴とされる。著名な王者の出伝説 に、龍によって、その母が孕(はら)んだと言う寄胎伝説が多い。翼のある応龍、角のある虬(きゅう)・角のない螭龍(ちりゅう)は、冬は水中に住み、春分のころに天に昇り秋分のころに再び水中に降りると信じられている。中国の「龍」も宝玉を持っていると云われる。

⑤日本では、中国思想や仏教により、この信仰が輸入され、平安の神泉苑では、「リエグウサン」「ジョサン」と呼ばれている。また漁村では、海の幸を祀る神とされる。日本での「八大龍王」は龍神崇拝の原始的な信仰の一つとして各地に多種のものがある。仏教において早くから取入れられて(仏教伝来 538年欽明天皇(29 代)公式初伝百済の聖明皇が使者を遣わして仏像・経綸を伝えたとされる.。 ) 仏教を守護する者と考えられるようになった。そのため仏教の諸種の教典に種々の名があげられている。「八大龍王」はそれらの統一教典に法華経の会座に列した護法の善神とされる龍王は難陀(なんだ)・跋難陀(ばつなんだ)・釈迦羅(しゃから)・和修吉(わしゅうきち)・徳釈迦(とくしゃか)・麻那斮(まなし)・阿那波達多(あなばだつた)・優鉢羅(ゆうはつら)が八大龍王である。

(以上 綿引 進著 「茅ヶ崎の八大龍王」より抜粋 郷土ちがさき 第120号)

 

 住吉神社に年号銘のない石祠(ほこら)形の碑があります。形が柳島のものと似ているので、同じころの建立ではないかと思われます。昔は姥島に祀られていましたが、厳しい波風を避けて現在地に移したと伝えられています。

 毎年1月と9月が例祭で、終戦前までこの日の前日に小屋を掛けて神楽を奉納していました。住吉神社境内の他に茅ヶ崎では海を見下ろす地、柳島のサイクリング道路のスタート地点そばの釣具店傍、国道134号線の交通機動隊前の交差点を海岸の方に降りてすぐの所、中海岸三丁目の市営中海岸プール跡地の傍、浜須賀の小和田浜公園の南側(134号線の海側)などに八大龍王の碑が立っています。小和田には、元治元年(1864)の碑(小和田の海岸)とは別に熊野神社に明治22年(1889)の碑があり、それには「姥島神社 八雲神社 八大龍王」とあります。浜のものは「浜鎮守」といい、漁師が大漁のとき魚を供え、神社境内のものは、正月15日と8月1日に網元が集まり祭礼を行ったそうです。

(広報ちがさき 平成8年10月15日号 文化資料館と活動する会民俗行事部会より抜粋)

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編注1)八大龍王神について
*石祠
現在住吉児童公園にある石祠は、かって烏帽子岩で祀られていたものを
明治23年にここに移したといわれております。但し異説によれば、
新しく建立したとも言われています。

*石碑
令和3年9月、漁港駐車場の完成に伴い、2基の石碑が車両入場口横に
新しく移設/お祀りされました。この石碑は本文中にある、国道134号線
の交通機動隊前の交差点を海岸の方に降りてすぐの所にありましたが、
以下の変遷を経てこの場所に移されました。

・小さい石碑
平成24年に上記住吉児童公園の石祠の右側に移されていました。
・大きい石碑
同じく、茅ヶ崎港の釣宿「茅ヶ崎丸」の敷地内に移されていました。

石祠および石碑は「茅ヶ崎漁業協同組合」で管理されています。
この碑は、「移設」というより「元に戻った」と言ったほうが良いかも
しれませんね。

編注2)このあたりです

南湖全図_南A_13